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クルマは無事だったようです・・・・・ [つれづれ日記]

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今週の火曜日(18日)の午後2時過ぎに、息子から突然ショートメールが。。。

メールの中身は、”雹が大量に降ってきた、窓ガラスが割れないか心配”

雹が降った時刻は東京多摩地域の嫁さんの実家にいた息子、夜になって電話で話すと、「大量の雹が強風で窓に叩きつけられたので、ガラス割れるのではと思った、恐ろしかった!」とのこと。

息子と話をしたあと、雹が降った時刻に東京23区内の事務所で働いていた嫁さんに電話すると、「事務所の窓ガラスが割れるかと思うくらいに、下から吹き上げるような強風に雹が叩きつけられて怖かった!」とのこと。

雹の大きさはどの位だった?、と訊くと、息子は2cmくらいとの答え、嫁さんは2cmくらいだが5cmくらいのも混じっていたとの答え。5cmの雹が直撃したら相当な衝撃なことは間違いありません。

二人の話から、駐車場に駐めていたクルマのことが心配になりました。クルマは3月に納車されてまだ4か月、未だキズひとつないピカピカな状態なので、やはり、とても気になってしまいした。

この日は、マンションの敷地内駐車場に駐めたクルマが一人留守番(?)をしていたのですが、息子が夜、マンションに戻ったので、朝起きたら、クルマのボンネットやルーフが凹んでいないかを確認するように指示。

翌日の昼間、息子から”クルマにはキズや凹みは見当たりません”、とのショートメールが届き一安心、胸を撫で下ろしました。

もっとも、ニュースやネットの情報によると、雹が降ったところと降らなかったところは、それこそ馬の背を分けるくらいに狭い範囲のあいだで差があったようなので、 私のマンションの地点で雹が降ったかどうかは、実ははっきりしません。したがって、私の取り越し苦労だったのかもしれませんが・・・・・

ーーーーーーーーーーー

私自身は、生まれてこの方、雹が降ったのを見たのは一度だけです(25年ほど 前)。その時の記憶では、突然、パラパラと音がしたので家の外を確認すると1cm位の雹が空から落ちてきて、地面に当たって跳ねていました。怖いと感じるほどのものではなかったです。

しかし、今回、首都圏を降った雹と強風は、私の家族も口を揃えて、”恐ろしかった”、”怖かった”、と言い、ニュースやYouTubeの映像を見ても、尋常な出来事ではないと感じました。

やはり、地球温暖化やヒートアイランドなどの環境の変化による異常気象がもたらした、1つの現象なのでしょうか?

ーーーーーーーーーーー

私の小学生時代、東京では夏、気温が30℃を超える日は、”今日はとても暑い日だなぁ!”、という感覚で、ましてや35℃なんていう気温は聞いたこともありませんでした。しかし、今では首都圏で35℃以上の猛暑日が、当たり前のようになってしまいました。

私が小学生の時に我が家に来た最初のマイカー(コロナでした)には、クーラーが付いていませんでした。それでも、三角窓(?)を開けて外気を取り入れれば快適で爽快した。

無論、当時の通勤電車にも冷房はなく、天井の扇風機が首を振っていた時代です。首都圏の通勤電車に冷房が付いたのは、1968年の京王線5000系、5100系が最初でした。

また、我が家(実家)にクーラー(エアコンではなく)がついたのは、確か私が中学3年の頃だったと思います。

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今では、クルマ、電車、住宅にクーラーが無い生活はとても考えられませんが、いにしえの時代はクーラーが無くても夏の暑さはしのげるもの、平気なものでした。

夕方になると、風鈴の音、蜩の鳴き声、そして虫籠の鈴虫の音で、夕涼みができた夏の日は、遠い遠い、いにしえの記憶の彼方となってしまったことを実感した、今回の首都圏を襲った雹の便りでした。


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新盆 [つれづれ日記]

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先週末、今年の春に他界した義父の新盆の法要を営みました。

法要は、嫁さんの実家のそばの菩提寺で執り行い、親戚の方々も遠路にもかかわらず、参列いただきました。

法要のあとは、菩提寺からそんなに遠くない和食処にて食事会。日本酒と焼酎の品揃えが大変に充実したお店で、特にお酒を飲まれる方には、大いに飲んで楽しんでいただけたと思います。
※私はドライバーの役柄だったので飲めませんでしたが、43度の久米仙、八海山を味わいたかったです・・・・・

親戚が一堂に会して語らうことができたことを、お盆に戻ってきた義父も、嬉しく思ってくれたのではないかと思っています。

クルマの外気温計は36.5℃を示す、とても暑い一日でした。。。


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栄光のルマン [つれづれ日記]

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2017年のルマン24時間レース、ポルシェが19回目の栄冠を獲得して幕を下ろしました。

昨年のルマン24時間レースのあと、ブログに「ポルシェとトヨタの残り3分の差は永久に縮まることはない、との確信に近いものを感じてしまった」(↓)と記しましたが、やはり(?)、今年もルマンの勝利の女神は、トヨタには微笑みませんでした。
http://shibatetsu.blog.so-net.ne.jp/2016-06-20

インターネット配信で観戦していたのですが、ポルシェの優勝が決まると、いにしえの映画「栄光のルマン」を無性に観たくなり、AmazonでDVDを注文しました。

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私が中学3年の夏休みに入った頃のこと、姉が”映画を観に連れて行ってあげる”、と私に言いました。

姉は、映画は、マーク・レスター、トレーシー・ハイド主演の「小さな恋のメロディ」かスティーブ・マックイーン主演の「栄光のルマン」のどちらかを選びなさい、と私に言いました。どちらもロードショウ公開直後で話題の的でした。私は無論(?)、「栄光のルマン」を選択。

姉と一緒に出向いた映画館は、有楽町の「テアトル東京」、ぎらぎらと太陽が照りつける暑い日でした。

「栄光のルマン」は公開前から自動車雑誌に紹介記事が多数載っていて、実際の1970年のルマン24時間レースの実写映像が使われていること、レースシーンの撮影にはジャッキー・イクスなどの世界のトップクラスのドライバーがスタントで参加していること、本物のグループ5レーシングカー、ポルシェ917、フェラーリ512Sを実際にサルテ・サーキットで走らせて撮影していることなど、大いに話題となっていました。

実際に、この映画を大画面と音響設備の充実した映画館で観た迫力は凄かったです、1970年のルマン24時間レースに出場したポルシェ917、フェラーリ512Sは、まだニッサン・シケイン、ミシュラン・シケインが存在しない、6kmのミュルサンヌ・ストレート(ユノディエール)では、時速380kmに到達していました。スクリーンからは、秒速100mを超えたスピードで疾走するポルシェ917、フェラーリ512Sの迫力がダイレクトに伝わってきて圧倒されました。

そして同じ5Lながら、空冷水平対向12気筒エンジンのポルシェ917と水冷V型12気筒エンジンのフェラーリ512Sのサウンドの違い、ポルシェは空冷エンジンらしい(?)「キューン」という独特のサウンド、フェラーリはポルシェより音域が低い、「ブゥォーン」という正統的なレージングエンジン(?)のサウンドなど、スクリーンを観て興味が尽きませんでした。

私にとって、この映画の主役は、マックイーンではなく、ガルフカラーのポルシェ917とフェラーリレッドのフェラーリ512Sでした。

レース序盤、ポルシェ917とフェラーリ512Sの隊列が我先に先頭を争うシーン、このシーンは1970年のルマン24時間レースの実写映像を中心に構成されていますが、そのシーンの圧倒的な迫力を目の当たりにして、それまでテレビで見てきた日本のレースとは全く別次元だなと、つくづく思いました(当時、ルマンを含めて海外のレースがテレビ中継されることはありませんでした)。

現実の1970年のルマン24時間レースは、セミワークスのザルツブルクチームのポルシェ917がポルシェに初優勝をもたらしました。フェラーリはプライベートのノース・アメリカン・レーシングのフェラーリ512Sが4位に入るのがやっとでした。ポルシェワークスであるジョンワイヤー・レーシングのガルフカラーのポルシェ917とスクーデリア・フェラーリ(フェラーリワークス)のフェラーリ512Sは全てトラブルで後退もしくはリタイアとなり、レースが如何に過酷であったかを物語る結果でした。

因みに、映画を観終わったあと、姉に有楽町駅のそばのレストランで「車海老のバター焼き」をご馳走してもらいました。46年前の夏、この日のことを、今でもよく憶えています。

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その後「栄光のルマン」を通して観たことは一度もなかったです。テレビ放映されたとき、あるいはYoutubeで断片的に観たことはあったのですが・・・・・

今回、DVDで通して観て、やはりこの映画はポルシェ917とフェラーリ512Sという、当時の最強のグループ5レーシングカーが主役だと言うことを、36年の時を経て改めて認識しました。極限のスピードで、空気を切り裂いて走るレーシングカーの姿をモータースポーツファンの視線に寄り添ったカメラワークで捉えているこの映画は、素晴らしいの一言です。

秒速100mを超えたスピードで疾走するポルシェ917とフェラーリ512Sは、私には神々しいほどに美しく見えます。自動車がスピードを出して走ることの素晴らしさ、この自動車全てが根源的に持っているスピードが出せるという能力が、如何に魅力的なことであるかを、実感できる映画です。

極力、セリフを抑えたドキュメンタリータッチの映画ですが、男臭いマックイーン演じるディレイニーと前年のルマンの事故により未亡人となった美しいリサ、二人の心模様が淡々と描かれています。

映画のラストで表彰式の喧騒をよそに、リサに向かって歩んでいくディレイニー。ディレイニーに眼差しを向けるリサの微笑むシーンが、ミシェル・ルグランの美しい音楽をバックにスローモーションで映し出されます。このシーンから、リサが再びルマンに来た理由は、ディレイニーに会うためだったことが解りました。
ストーリーそっちのけでレーシングカーばかりに気を取られていた、中学3年のガキだった私には、このことが解りませんでした。。。

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私が自称(?)、クルマ好きになったきっかけは、小学生の頃に、空気を味方につけるレーシングカーの流麗なデザインを美しいと思ったからです。

ポルシェ、フェラーリ、名門スポーツカーメーカーが威信を掛けて開発した、美しいレーシングカーの頂上対決となった1970年のルマン24時間レース。このレースの臨場感を生々しく伝えてくれる「栄光のルマン」は、私にとっては、かけがえのない魅力的な映画です。

因みに、後日、おそらく私が大学生の頃だったと思いますが、「小さな恋のメロディ」をテレビ放映で観ましたが、私にとっては気が遠くなるくらいつまらない映画で、あの時「栄光のルマン」を選択して、本当に良かったと思った記憶があります。。。


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記録の重要性(その3) [つれづれ日記]

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昨年の12月、ブログにダイエットの目的で生姜ココアを飲み始めたとの記事を書きましたが、今年の1月中旬に飲むのを止めてしまいました。

止めてしまった理由は、プライベートでやっかいな問題を抱えていたので、朝晩、決まった時間に生姜ココアを飲むことさえも億劫に感じるようになったから、そして決して美味しくはない生姜ココアを口にすると余計にストレスになったからです。

私は毎日の体重と食事内容をEXCELで記録し、日々の変化を眺めているのですが、生姜ココアを飲むのを止めたのと時を同じくして、体重は徐々に増加に向かっていきました。ただし、体重が増加に向かった理由は、必ずしも生姜ココアを飲むのを止めただけではないと私は考えました。

私は基本的に毎晩、自宅(大阪に居る時はワンルーム)でお酒を飲みます。今では摂取するカロリーを気にして、カロリーオフの発泡酒を、毎日、決めた量を飲むことにしています(量はあえて記しませんが、たぶん常識的に言うと少量ではないと思います)。外でお酒を飲んで帰った時も同様で、量は減らしますがやはり決められた量のお酒を飲みます(記憶を失うくらいに飲んだ時は別ですが・・・・・)。

しかし、プライベートでやっかいな問題を抱えてストレスがたまった状態だと、つい何かと口実をつけて、例えば、「塩辛いものを食べて喉が渇いたから」、「昨日は寝つきが悪かったので」、「今日は寒いのでお酒をもっと飲んで温まりたい」などの口実で、決めた量以上にお酒を飲むが日常となってしまいました。

いつも、冷蔵庫の中にはカロリーオフの発泡酒と赤ワインの買い置きがあったのと、大阪のワンルームの玄関横にはビールの自販機が設置してあり、お酒が身近にあるため、飲もうと思えばいくらでもお酒を飲むことができました。

また、週末の少なくとも一日は必ず鉄道写真の撮影に行っていたのですが、プライベートでやっかいな問題を抱えていたため、撮影に行く気が起きず、ワンルームに閉じこもって、ひたすらネットサーフィンに明け暮れていたことも、体重増加の原因の1つとなったと思います。

そんなわけで、体重は増加傾向を辿っていき、またお酒を飲みすぎる傾向になったので、これでは拙いと考えて行動を改めることに。

改めた点は、大阪のワンルームでは冷蔵庫にお酒の買い置きをすることを止めにしました。毎日、帰宅する際に決めた量のお酒だけを買って帰ることにしました。そして、ワンルームの自販機ではビールは二度と買わないことを決意、徹底しました。

これを、3月1日から続けたことで、体重の減少は3kg強程ですが、ウェストサイズの減少に驚くほどの効果がありました。今までいくらダイエットを試みてもウェストサイズにはほとんど影響がなかったのですが、2インチ程スリムになりました。

今回、お酒以外に心掛けたことは、以前から取り組んでいる「米を食べるのは一日に1食のみ」を改めて徹底したことです(たまに2食の時があったので)。

ウェストが2インチスリムになると、流石に大半のスラックス、ジーンズは緩くなり、息子が中学の時に穿いていたジーンズ(息子から貰って穿いていたのですが今まではウェストがきつかった)がジャストフィットするようになりました。

まあ、お腹がちょっとだけでもスッキリしたことは嬉しいので、今のウェストサイズの定着を目指して、食事とお酒(酒量)に気を付けて行きたいと思う次第です。


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30年目の別離 [つれづれ日記]

30年前の1987年の冬に、吉祥寺PARCOにあったTEIJIN MEN'S SHOPで購入した、Jeffrey Banksのピーコートです。独身時代に今の嫁さんと一緒に買いに行ったことを憶えています。

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これを購入するまで私が着てきたコートは、大半がステンカラーコートでした。
アイビールック全盛の時代に通っていた高校は私服で、それから30代半ばまでは、常に比較的ドレッシーなアメリカントラッドの服を好んで着ていて、ウールのスラックス以外はほとんど穿いたことがなく、ジーンズすら持っていなかったことが、その理由かもしれません。
そんなわけで、ピーコートを買ったのは初めてでした。

このピーコート、凄く重たいのですが、着るととても暖かく、お気に入りの一着でした。購入した翌年の冬、ヨーロッパへの新婚旅行にも着て行った、思い出の一着です。

ーーーーーーーーーー

残念ながら、今年の冬になり、写真の通り裏地の傷みが目立つようになり、今回、引退させることとしました。

私はどんな物でも物持ちが良く、洋服とか靴など身に着けるものも、長く愛着を持って大切に使います。他にも、30年以上着ているバラクータ、修理をしながら15年近く履いている革靴など、10年選手以上のものが溢れています。。。
そーいった意味で、私はきわめて衣料品にかけるお金は少ないほうだと思っています。

言い換えれば、根が貧乏性なのかもしれませんね。。。私が、一番、長く付き合って行けていないのが、住宅以外ではもっとも高額商品のクルマなのは、私にとっては、とても頭が痛いことであります・・・・・

30年間付き合ってきたこのピーコートと一緒に過去の想い出も脱ぎ捨てて、寒くなるまでに新しい伴侶を見つけようと思う次第です。

因みに、2年前にも同じような記事を書いています(↓)。
http://shibatetsu.blog.so-net.ne.jp/2015-04-22


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DPP [つれづれ日記]

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私は基本的に鉄道写真を撮影するときのみ、一眼レフカメラを使います。

その他の被写体を、一眼レフカメラで撮影することは稀です。その他の被写体は、もっぱらスマホでの撮影で、コンデジも持ってはいますが、使ったことは、ほぼ皆無です。

一眼レフでの撮影はRAWフォーマットのみで、写真を印刷する時、ブログへアップする時、PCのディスプレイに貼りつける時にのみ、現像します。

現像ソフトウェアはカメラがキャノンなこともあって、長年、Digital Photo Professional(DPP)を使用しています。

さいたまのデスクトップPC(Windows Vista)はDPP3(3.8.1.0)、大阪のノートPC(Windows8.1)もDPP3(3.14.47.0)をインストールしていました。

しかし、Windows Vistaのサポート期限切れに伴い、さいたまのデスクトップPCをWindows10に買い替えたため、新たにDPP4(4.6.10)をダウンロードしました。

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GW期間中に、DPP4を使ってみたのですが・・・・・

DPP3とDPP4と画面、操作性が全く別物で、かなり戸惑っています。まだ、全く使いこなせていません。。。

また、あくまでも私の感覚ではありますが、現像した画像の色合いが違っているように思います。DPP4はDPP3より、彩度が低く、色相が強いように感じられます。

そして、撮影したレンズのレンズデータをダウンロードして、デジタルレンズオプティマイザを適用するとDPPが強制終了してしまいます。。。この問題については、まだ解決策が見つかっていません・・・・・

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記憶の彼方のことになりましたが、DPP2からDPP3になったときも、最初は戸惑ったように思います。

まあ、ソフトウェアは使い込んで行ってこそ、使いこなせるようになっていくものなので、DPP4とも、あせらず気長に付き合って行こうと思っています。


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1994年5月1日 [つれづれ日記]

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23年前の1994年5月1日、モータースポーツファンにとっては、とても悲しくて、つらい、忘れられない日です。

イモラ・サーキットでのサンマリノ・グランプリの決勝、2番手のミハエル・シューマッハのベネトンフォードを従え、トップを走行していた、アイルトン・セナのウィリアムズ・ルノーがタンブレロ・コーナーでコースアウト、アイルトン・セナは命を落としました。

フジテレビのF1中継が、いきなりセナの事故を伝える三宅アナウンサーの実況中継で始まり、番組中でセナの死亡が伝えられました(※中継のスタートは、日本時間で5月2日に日付が変わってからだったと思います)。

セナのファンだった嫁さんと二人で、F1中継を観ていました。事故の映像から、セナの生存は厳しいことは解ってはいましたが、実際にセナの死亡が伝えられた時のショックははかりしれず、放心状態に陥ったように、お互い声を出すことが出来ませんでした。しばらくして、私が「セナ、死んじゃったね・・・」と絞り出すように声をだすのが、やっとでした。。。

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前年の日本グランプリの予選、決勝は鈴鹿にいました。決勝はスプーンカーブで観ていたのですが、雨の鈴鹿、セナのマルボロカラーのマクラーレン・フォードの鋭い、水澄ましのような走りは他のマシンを圧倒していて、一人、異次元の速さでした。「雨のセナ」の凄さを目の当たりにしました。。。
セナのウィニングランに拍手をしながら、セナの黄色いヘルメットに、とても、よくマッチしていたマルボロカラーのマクラーレンをドライビングする姿が、日本で観られるのもこれが最後かぁ・・・・・、と、ちょっぴり寂しい感じを抱いたことを憶えています。

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フジテレビのF1中継の後、嫁さんとセナの話は全くしませんでした、、、何か触れてはいけないような気がしたからです。

数日後に嫁さんが突然、「セナに会いに青山に行きたい」と言い出しました。ホンダウェルカムプラザ青山に1992年にセナがドライブした、マクラーレンMP4/7Aをはじめ、セナゆかりの品々、写真が展示され、追悼のための記帳台が設けられていたからです。

息子がまだ一歳前だったのですが、息子を嫁さんの実家にあずけて、青山まで嫁さんと二人で出向きました。

嫁さんが写真を撮りたいと言ったので、ウェルカムプラザ近くのコンビニで「レンズ付フィルム」を購入して、ウェルカムプラザの中へ。マシン、本田総一郎と一緒に写った写真、ヘルメット、トロフィーなどなど、セナを偲ぶもので溢れていて、大勢のファンが見入っていました。。。

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セナゆかりの品々を見終ったあと、設けられていた記帳台に置かれた芳名帖に、セナへの追悼のメッセージを記帳しました。「あなたの勇姿は、全てのモータースポーツ・ファンの胸の中で、いつまでも走り続けることでしょう」、昔のことで一字一句まで正確ではないかも知れませんが、こんなメッセージを書いて、署名、住所を記しました。

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それから、しばらく経って、本田技研工業株式会社から封書が届きました。当時はホンダ車に乗っていたので、てっきりリコール通知でも来たのかな(?)、と思い封を切りました。

封を切って中身を確認すると、一通のレターにカラーとモノクロのセナのポートレイトのポストカードが3枚添えられていました。リコール通知ではありませんでした。

レターのタイトルは、「アイルトン・セナを悼む」でした。

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そのレターには、ウェルカムプラザをブラジル駐日大使が訪れたこと、ブラジルのアイルトン・セナ家の弔問の際に芳名帖が遺族に渡されたことなどが記されていました。

私は、このレターを手にして、モータースポーツファンの心を大切にするホンダの姿勢が強く感じられて、とても嬉しく思ったことを憶えています。。。

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それから、早23年が過ぎました。当時、ホンダファンだった私は、セナ哀悼の件でホンダをますます好きになったのですが・・・・・

その後、ホンダは第3期、第4期としてエンジンサプライヤーあるいはフルコンストラクターとしてF1に再び参戦しますが、第2期の輝かしい戦績からは程遠い結果しか残せていないのは、いにしえのホンダエンジンの活躍を鑑みると、とても残念に思えます。

そして、私は次のクルマもホンダ車を買って、2台続けてホンダ車に乗ったのですが、、、その2台がともに、あまりにお粗末な、笑い話かブラックジョークのような同じトラブルに見舞われて、ホンダのクルマが張りぼてにしか見えなくなってしまいました。心底から懲り懲りしてしまった私と嫁さんは、もう二度とホンダ車は買わないことを決意しました。

好きだったホンダとは、残念ながら疎遠になってしまいました。。。

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運命のサンマリノ・グランプリでトップのセナを追走していたシューマッハも2013年末のスキーでの転倒事故で昏睡状態に陥り、現在、どのような状態にあるのかは明らかにされていません。この事故のニュースを耳にした時、シューマッハのタフネスな印象にはそぐわないニュースだと思ったのも事実です。

セナの研ぎ澄まされた繊細な速さ、シューマッハのふてぶてしいほどの強さ、1990年代前半から中盤にかけてのF1シーンを、今でも懐かしく思います。

もし、セナがタンブレロコーナーでコースアウトしなかったら、その後のF1シーンはどのようになっていたのでしょうか?、セナの命日の今日、ふとそんなことに思いを巡らせた次第でした。


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泡立ちの悪いシャンプー [つれづれ日記]

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さいたまの自宅に戻った時に使用するシャンプーは、以前から息子と共用でした。
因みに、私の洗髪はシャンプーで洗うのみで、リンストリートメントは使いません。

この一年位、シャンプーの泡立ちが悪くなったなぁ、シャンプーボトル(ブランド)は変わっていないのに、何故だろう?、と不思議に思っていました。

先週、息子にシャンプーの泡立ちが悪いと話をすると、驚くべき返事が・・・・・

息子曰く、、、以前、シャンプーボトルが空になって、詰め替え用のシャンプーを購入した際に誤ってリンスを買ってしまい、そのリンスを空になっていたシャンプーボトルに入れた。そしてシャンプーは別途購入、別ブランドのものに変えたとのこと。。。

うーむ、、、私は、この一年間、さいたまの自宅に戻った時はリンスで洗髪していたということが判明しました。。。どおりで、泡立ちが悪かったわけだ・・・・・

そしてバスルームに、色んな種類のシャンプーボトルがある謎も解けました。

まあ、どーでもいいようなことですけど、泡立たないシャンプーにストレスを感じていた自分から解放されて、少し気分がよくなった次第でした。。。


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親孝行 [つれづれ日記]

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先々週末、義父が他界しました。

先週一週間、菩提寺への挨拶とお礼、葬儀社との打ち合わせ、葬儀、最期に入院していた病院への支払い、四十九日の段取り、墓石の手配、仏壇の購入などなど、息をつく暇もありませんでした。

義母は高齢のため、一人娘である嫁さんが実質上は葬儀の喪主を務め、雑務、お金の処理などを私が支援しました。

義父は年齢からすると大往生と言えるのかもしれません。つい数年前に運転免許証を返納するまで、義父の世代では、「いつかは・・・・」と言われた、国産の大型サルーンを元気に運転していました。

昨年の末ころから、長年患っていた義父の病の状態が芳しくなくなり、高齢の義父母の面倒をどうやって見るかを、嫁さんと話し始めていました。

さいたまの私のマンション、今は誰も住んではいない都内の私の一軒家、都内の義父母の一軒家、これらの3つの家を整理して、どこに住もうかと考えていたのですが、その矢先、2月も下旬に差し掛かろうとする時に、義父の容体が急変して倒れ、それっきり義父の意識が戻ることはありませんでした。

私が大阪で単身で暮らし始めてから、今回、病院のベッドで意識のない義父を見舞うまでの4年間、一度も義父と顔を合わせたことがありませんでした。義父に親孝行は何一つできていなかったと、今となって、しみじみと思います。

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私の実の両親は、20世紀最後の年に相次いで他界しました。やはり、実の両親に対しても、何一つとして、親孝行らしいことはしてやれなかったと思っています。

私は今でも、年老いた実の両親が、今は私の家となっている実家のリビングに座って、寂しそうな表情を浮かべてお茶を飲んでいる光景を、私がテレビの画面を観るように眺めている夢をよく見ます。そして夢の中で、こんなに寂しそうにしている両親に、何もしてやれなかった自分が情けなく、それがとても悲しくて、夢の中の私は涙を流して両親を眺めています。

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我が子の成長を振り返ってみると、子供の成長の変化は、驚くほど速いものです。そして、その変化は我が子自身、そして親にとっても、とても嬉しく喜ばしいもので、子供の少しの変化でも見逃すことはありません。

しかし、人間の成長はやがて止まり、老いに向かいます。

人間の老いによる変化は、ゆっくりです。そして、その変化は自分自身にとっても、周囲の人たちにとっても、必ずしも嬉しく喜ばしいものではないため、老いの変化には、つい眼を背けがちになったり、変化がゆっくりであるがゆえに気が付き難く、見逃してしまうものなのかもしれません。

今まで満足に親孝行ができていない、私自身に対する言い訳になってしまいましたが・・・・・

敢えて私の唯一の親孝行といえるのは、実父母にとっては5人目、義父母にとっては唯一の孫である、私の一人息子の誕生を見せることができたこと、そして、実父母、義父が息子と楽しく遊んでくれたことかも知れません。

かく言う私もだいぶ老いてきましたか、私が息子に親孝行してほしいかといえば、今のところは特に何かしてほしいとは思ってはいません。息子がこれからも心身ともに健康な人生を歩んでくれたら、それ以上を親としては望みません。。。


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散々な、この一週間 [つれづれ日記]

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先週の木曜日、金曜日に会社を休み、水曜日の夜、さいたまの自宅に戻っていました。2日の休みを取って自宅に戻って目論んでいたことは、以下の4点でした。

・春の彼岸にできなかった墓参に行くこと
・熱帯魚水槽の掃除
・4月8日に運転される「EL&SL みなかみ」の撮影
・4月11日サポート期限切れとなる、自宅のWindows VistaデスクトップPCの買い替え

ところが・・・・・

水曜日の午後から喉が痛くなり、市販の風邪薬を飲んでいたのですが、高校時代からの友人から、木曜日の夜に「飲まないか?」の急な誘いがあり、喉の痛みを押して、吉祥寺の居酒屋で魚介を肴に、ホッピーを記憶がなくなるまで飲んだことが拙かったです。

その日、帰宅すると、喉の痛みは増し、咳が止まらず、痰が切れず、頭が熱っぽく、という酷い状態に陥っていました。。。まさに、後悔先に立たずです。。。

高熱は出ないものの、日に日に症状はどんどん悪化していって、結局、日曜日に、休日も診察してくれる内科クリニックに行って診察を受け、7種類の薬を処方してもらって、少しづつ、快方に向かっています。

当初は月曜日の朝、大阪に戻る予定にしていたのですが、月曜日は一日、さいたまの自宅で安静にしていることにして、本日の朝、大阪に戻った次第です。

結局、目論んだ4点のうちで実行できたのは、Windows10デスクトップPCの購入と セットアップの1点のみ。目論見を大きく外すことに・・・・・

PCのセットアップはアカウント作成(私:マイクロソフトアカウント、嫁さんと息子:ローカルアカウント、プロバイダ連絡用:ローカルアカウント)と各アカウントのOutlook2016の設定、Windows Defenderの有効化、Officeのライセンス登録まで実施したのみ。プリンタ等の周辺機器の接続は、当面使わないので、自分の体調、気力を鑑みパスしました。

他の3点は・・・・・、お墓のある高尾まで高速道路をドライブする気力はなく、高崎線上尾以北まで出向いて列車にカメラを向ける気力もなく、苔の目立ち始めた水槽を掃除する気力も、もちろん、湧きませんでした。墓参と水槽の掃除は、ゴールデンウイークにリベンジですかねぇ・・・・・

「飲み」に誘われると、決して断ることをしない(できない?)、自分の(優しい??)性分が大いに災いした次第です。

まあ、この40年くらい、基本的にはお酒を飲まない日はなく、かつ、飲み始めると際限なく飲んでしまうことが多々あることが、私の習慣(?)、日常となっています。

この習慣ゆえに、お酒で失敗したことが、いくつもありましたが、未だに壊れていない肝臓には、ただただ感謝することしきりです。。。

肝臓に感謝することしきりではありますが、私もいい歳なので、お酒の誘い、誘惑を断ることも身につけなくてはいけないかな(?)、と今回の一件で切に思った次第です。。。


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